思考錯誤

これは、俺の人生の軌跡だ。

【書評】「反原発」の不都合な真実を読んで。放射性廃棄物について思うところを書いてみた。

 

「反原発」の不都合な真実(新潮新書)

「反原発」の不都合な真実(新潮新書)

 

 

その専門は金融で、そして世界の最新の金融情報をぼくら一般人に分かりやすく丁寧に、そしてときに小気味よいジョークを交えながら解説してくれ、そしてお遊び程度に読者たちの恋愛相談なども掲載されている(金融情報を積極的に収集している大人たちは、恋愛についても真剣に悩んでいる人が多い、ということなのだろう)メルマガ「金融日記」の作者である藤沢数希さんが、「反原発」は本当に正しい主張なのか?ということを、感情論抜きにあくまで科学的・論理的に解きほぐした一冊。

 

なんとなく読むタイミングを逃していたのですが、奇しくも今年の8月11日に鹿児島県にある九州電力川内原発1号機が福島第一原発の事故を踏まえて作られた新しい規制基準のもとで初めて再稼働されたこのタイミングで、もう一度原発問題についてきちんと理解して置くべきだということで、読み始めました(あと、この映画をみたこともでかい)。

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0814.html

 

ぼくが分からなくなったのは、本当に放射性廃棄物がどうしようもなく厄介な存在なのか?ということ。藤沢所長の本には「それほどまで厄介なモノではない」と書いてある。一読しただけではよくわからなかったので、この問題について、藤沢さんの本をとっかかりに色々調べてみたので、記しておきたい。

 

そしてやっぱりぼくは現実をみないで、感情論だけで展開される脱原発には反対だ、という結論に達した。

 

原発の本質的な問題は何か?その肝は使用済み核燃料の取り扱いにあるといえます。

この辺の議論をよくわかっていない人が多いと思いますので、まずは原発を語る上で欠かせない原子燃料サイクルについてみていきましょう。

 

■原子燃料サイクルとは?

原子力発電所で使い終わった燃料(使用済燃料)は、使えるものと使えないものに分別する「再処理」をすることで、再び燃料としてリサイクルできます。

この再処理によりウラン資源をリサイクルする流れを「原子燃料サイクル」と呼びます。

下記サイトより引用)

http://www.fepc.or.jp/nuclear/cycle/index.html

 

原子力発電所のエネルギー源として使われるウランは、自然界にもごく少量しか存在しません。しかもそのウラン原子力発電で使用する為には、さらに使いやすく加工処理する必要があります。細かい説明は本書を読んで頂くとして、ここでは原子力発電という技術は、このような原子燃料サイクルをグルグル回すことで成り立っているということを抑えて下さい。

http://www.fepc.or.jp/nuclear/cycle/about/sw_index_01/index.html

 

■高レベル放射性廃棄物とは

で、原子力発電所で使われた使用済み核燃料ですが、これは再処理を施す前に一時的に中間貯蔵施設に保管されます。使用済み核燃料は常に高濃度の放射線と熱を発生させるため、放射線を遮断しつつ、放熱もしなければならないのです。

http://www.fepc.or.jp/nuclear/cycle/chozou/index.html

 

この使用済み核燃料を再処理する段階で発生するのが「高レベル放射性廃棄物」なのです。ここを結構ごっちゃに考えている人が多いと思うのですが(というか、ぼくもよくわかっていませんでした)、使用済み核燃料を「再利用できる物質」と、「もう使えない物質」に分離したさいの「もう使えない物質」こそが、巷で話題になっている「高レベル放射性廃棄物」なのです。厳密に言うと使用済み核燃料も高レベル放射性廃棄物なんだけど、まあそこは置いておきましょう。

 

ちなみにこの高レベル放射性廃棄物の1本当たりの大きさは、直径約40センチメートル、高さ1〜1.3mほどで、重量は400〜500kgほどの円筒型のガラス固化体です。高レベル放射性廃棄物は日本にある原子炉を毎年すべて稼働させると、年間1,100〜1,600本ほど、このガラス固化体が増えていくとのことです。

http://www.enecho.meti.go.jp/category/electricity_and_gas/nuclear/rw/docs/library/pmphlt/hlw.pdf

 

2014年12月時点では、約24,800本分(原子力発電所において装荷中の燃料の燃焼分も含んでいます。)の高レベル放射性廃棄物が存在することになります(日本国内のみ)。

https://www.numo.or.jp/q_and_a/01/

 

100万キロワット級の原子力発電所1基を1年間フル稼働させると、年間30トンの使用済み燃料が発生します。その使用済み燃料から生じる高レベル放射性廃棄物は、先ほどのガラス固化体の本数でいうとおよそ30本。重量にすると15tなので、使用済み核燃料のおよそ半分が高レベル放射性廃棄物ということですね。

 

そして、日本にある原発をフル稼働させても、年間で増える高レベル放射性廃棄物の本数は1,100〜1,600本程度(重量にして550〜800tほど)で済むということは、心にとどめておいてもいいでしょう。

ちなみに日本では、放射線を含まない一般の産業廃棄物は毎年4億tほど排出されています。そのことを考えると、高レベル放射性廃棄物は、ずいぶん少ないもんですね。

http://www.env.go.jp/press/files/jp/25567.pdf

 

■高レベル放射性廃棄物の危険性

さて、使用済み燃料を再処理工場で再処理したさいに生じる高レベル放射性廃棄物ですが、この廃棄物は、どれほど危険なものなのでしょうか?

 

ここに興味深いデータがあります。

http://www.enecho.meti.go.jp/category/electricity_and_gas/nuclear/rw/hlw/qa/syo/syo03.html

 

上記のホームページによると、生成されたばかりの高レベル放射性廃棄物であるガラス固化体は、その側に近づいた場合、ものの20秒ほどで100%の人が死亡するレベルの放射線量を発生させているとのことです。

 

しかし、50年間冷却措置を行った場合、その放射線量は激減し、ガラス固化体から1m離れたところに厚さ1.1mのコンクリート壁を設ければ、法令上の管理区域を設定しなくても良いレベルにまで放射線量は下がるとのことです。

 

ぼくたち素人は、高レベル、という言葉のもつインパクトに踊らされて必要以上に放射性廃棄物を恐れているのかもしれませんね。

 

ぼくたちは2011年の震災と、それを引き金にして発生した福島第一原発の事故を目の当たりにしたことで、よりいっそう原発について拒否反応を示すようになりました。そして本来は論理的に考えなければならないことが、論理的に考えられないようになっているのかもしれません。

 

とはいえ、この高レベル放射性廃棄物が本当にそれほど危険ではないのか?といった点については専門家たちの間でも議論が別れているようで、「いや、めっちゃ危険だよ!」という人も一定数存在しているようです。藤沢所長は大丈夫といっていますし、省庁のホームページを読み込んでみても、さほど危険があるようには思えないのですが、私としては、反対派の皆さんの意見もきちんと自分で調べてから結論を出したいと思います。てことでこの点についてはまた後ほどブログに書きましょう。

 

■すでに放射性廃棄物は存在している、ということ

そして重要なことが一つあります。

それは反原発か否か?ということに関係せず、既に発生してしまった放射性廃棄物の処理の問題は、確かにそこに存在するということです。

今更反原発を唱え、日本にある全ての原発を止めたところで、これは紛れも無い事実です。反原発派の人の議論を聞いていると、どうもこの辺のことがすっぽり抜け落ちているように思われます。

もう既に存在している廃棄物はどうするのだろうか?そのことを考えず、「未来の子どもたちの為に」なんて言っても、その議論は空虚なモノに思えてしまいます。それよりも、もっと考えなければならないことがあるのでは?と。

 

そして、仮に日本が原発の新設をやめたとしても、世界では多くの原発が作られている、といった点も考えなければいけません。日本だけが原発をやめたところで、世界にはガンガン原発が新設され、どんどん放射性廃棄物が作られ続けているのです。日本だけが脱原発を達成しても、もう焼け石に水なのです。

 

てなことを考えると、一時的な感情で「反原発」を唱えることはあまり意味がないように思えるわけで、それよりもこの技術をより便利で効率的に使う為に知恵を絞ったほうがいいんじゃないの?というのがぼくの結論である。再生エネルギーが全然使えないのも事実だしね(この辺のことは、『「反原発」の不都合な真実』を読んでください)。

 

■結論にかえて 

日本人の悪いクセの一つは、面倒な問題に目をつぶり、後回しにしてしまうことだ。それは原発の問題だけでなく、例えば国立新競技場の建設費の問題だとか、某大手企業の不適切会計の問題だとか、STAP細胞の問題だとかをみても明らかだ。

それに、そういった世間を騒がせた出来事に着目しなくても、なんとなく普段仕事をしていても感じるでしょ?ぼくはいつも感じている。とにかくみんな、面倒くさいことの責任を取りたがらない。面倒なことに正面から取り組み、その責任をきちんと自分でとれる人のことをリーダーと呼ぶのだとすると、日本には真のリーダーと呼べる人はいないのかもしれませんね。まあ、この辺の話は今回のエントリ内容と議論がズレるので、また今度ブログで取り上げましょう。

 

そうそう、「反原発不都合な真実」。日本人ならぜひとも一読することをおススメします。分かりづらい議論は、ネットを調べれば色々情報がたくさん出てくるから、それらも参考にしながら読み進めるとより理解が深まると思います。

 

「反原発」の不都合な真実(新潮新書)

「反原発」の不都合な真実(新潮新書)