僕が、文章を書くのが好きなわけ
僕は、文章を書くのが好きだ。
まあ、好きじゃなければ、こんなに長い間、ブログを続けていられない。
じゃあ、なんで僕は文章を書くのが好きなのだろうか?
それは、自分の思考の道筋を、きちんと残すことができるから、だろう。
僕は、しゃべるのが得意じゃない。空気を読むのも得意じゃない。
だから、集団では常に浮いているし、よかれと思ってやったことが、却って裏目に出ることもしばしばだ。ゆえに、集団で成果を出すことが求められる会社では、疎ましがられる。ゆえに、30を過ぎて、来年は33になろうというのに、未だに一般事務の仕事しかさせてもらえない。コピー取り万歳!エクセルへのデータ入力万歳!!
話がそれました。
そう、僕が文章を書くのが好きなのは、何よりもまず、自分の思考が整理されて、それまで気付くことの出来なかった自分の感情に気付くことが出来るから、である。
PV数をめっちゃ稼げただとか、自分の大好きな著名人に褒められた、なんていうのは、実は二の次なのである。
誰よりもまず、この文章を書いた自分自身が、後から読み返した時に「何俺、めっちゃ良いこと書いてるやん!てか、俺ってめっちゃしっかり考えてるやん!!」て思える文章を書くことが目的なのである。
僕は、気をつけないと、とても回りくどい表現をしてしまう。
主語と述語の間に、様々な目的語を投入して、きちんと文章を追わないと意味が通らない文章を書いてしまう。
それは、文章を書くことが好きなものからすると、愚行である。
愚行であるが、文章を書くことが好きな人が陥りがちな愚行である。
なぜなら、文章を書くことが好きな人は、すべからく「文章力がある人だ」と認められたがっている人だからである。
文章を書くのが好きな人は、とても少ない。どちらかというと、文章を書くのは苦手だという人の方が、世の中には多い。
だから、文章を書くのが好きな人は、「文章を書くのが好き」ということを、自身のアイデンティティとしがちだ。
もちろん、下手の横好きという言葉がある通り、書くのが好き=書くのが上手い、というわけではない。むしろ、僕を含め、多くの文章を書くのが好きな人は、文章が上手だと言いがたい。
本当に文章が書くのが好きな人すべてが、とても上手な文章を書けるのであれば、世のブロガーたちは、みなイケダハヤト氏だし、ちきりん女史だ。
でも、そうじゃない。
僕をはじめ、多くの素人ブロガーたちは、月に数百から良くて数千PVを稼ぐのが精一杯で、とてもじゃないけどブログで収入を得ることなどできない。
好きだからって、決してそれだけでお金を稼げるようにはならない。
それでも僕らが愚直にブログを書くのは、書くことそれ自体がカタルシスであり、自身の気持ちを整理する唯一の手段だからだ。
だって、こうやって言葉に自分の思いを紡ぐことは、何よりも楽しいことだし、後から読んで、その文章がとても筋が通っているものだと、なんだかとっても誇らしい気持ちになるんだもの。
だから今日も、そして明日も、僕はブログを書くことを辞めないだろう。
そしていつの日か、このブログが日の目を見て、月間数十万PVを稼ぎだしてくれることを、ちょっとだけ期待するのである。
おしまい。