その仕事の対価は何か?
本ブログでは、「一般事務員の仕事でも、十分にスキルを高めることができる」ということを、僕自身の実体験を元につらつらと書き続けてきた。
最近ちょっと飽きてしまってエントリが途切れがちになってしまっているけれど、今までのエントリを読んで頂ければ、十分その意図は伝わると思っている。
でも、じゃあ一般事務の仕事って今後も需要があり続けるのか?といったら、まあそんなことはないだろうな、とも思っている。
それはもちろんITはじめ、技術の発展によって、煩雑な書類業務やデータの入出力と言った作業が、段々と人の手から離れていくだろうという一般論からも導きだされるんだけれど、それ以上に現場でこの仕事に従事している人間の肌感覚として、この仕事は無くなっていくんだろうな、という確信がある。いや、無くなっていくんだろうな、じゃなくって、無くした方がいいんだ、という確信だ。
なんでか?
それは、一般事務の仕事に対する対価が、余りにも理不尽でフワフワとしたものだからである。この仕事の対価がそれ?そんなものでこんなにしんどいことを、当たり前のごとくこなせっていうのか?ということが、結構ある。そして恐らくそんな馬鹿げた仕事に就きたいと思う人は、これからどんどん減っていくだろうし、減らした方が絶対いい。
どういうことか?
これはあくまで僕の個人的な体験を元にしているから、もしかしたら全ての職場に当てはまるものではないのかもしれない。でも、ひとつのケーススタディとして、記しておく価値はあると思う。あとの判断は各自自分で考えてくれや。とりあえず僕は、早くこんな理不尽な仕事無くなってしまえと思っている。
例えば、何か経費精算の業務が発生したとしよう。
あなたは何度も精算処理を行っていて、今回部長が提出してきた書類には、明らかにおかしい部分があった。このまま提出しても、恐らく経理部から突き返されて、精算されないだろうと、あなたは確信していた。
そこで、あなたは部長に進言する。
「部長、これでは精算できません。書類の書き直しをお願いします」
正しいことしたのはあなただ。なぜならその書類を提出しても、精算はしてもらえない。事実、その書類は後日不備書類として、経理部から突き返された。そして、部長は経理部のお局様から、こっぴどくしかられた。
しかし、部長は素直にあなたの言うことを聞いてくれない。
「はあ?何言ってるの。前もこれで大丈夫だったんだから、大丈夫だって。そんなことでいちいち俺の仕事の手を止めないでくれる?君は暇なんだろうけど、こっちは色々案件抱えていて忙しいんだよね?」
みたいな感じで、あなたを軽くあしらう。事務員ごときが、エラそうに分かった口聞くんじゃねーぞと。そしてイライラして、不機嫌になる。
しかし、正しいのはあなただった。
「あーやっぱりな」と、あなたは心の中で思う。
そして、話はここでおわらない。
「おい!君!!」
お局様にこってり絞られたあと、部長は声を荒げ、あなたを呼び出す。
「なんであのとききちんと説明してくれなかったの?」
いや、こっちはとても分かりやすく、論理的に説明をした。少なくともしようとした。どこが間違っているのか、手引書を持って、わざわざコピーを取って、マーカーで間違ってる箇所を分かりやすく色分けして、あまつさえ、どこをどう直せばいいのかまで、用意していた。夏休みの宿題を代わりに全部解いておいてあげたようなものだ。
しかし、そんなことは口が裂けても言えない。そしてさらに部長は続ける。
「もしかしたらこっちは忙しくてイライラしていたかもしれないし、うっとうしがっていたかもしれないけど、そこで引き下がっちゃダメでしょ」
「例え言い合いになっても、そこで正しいやり方に導くのが、君の仕事だし、君がここでお金をもらっている意味なんだから」
全くもって正論である。
そこで、正しいやり方で処理をさせるのが、僕ら事務方の仕事である。
しかし、だ。
これは余りにもフェアじゃないのではなかろうか?いや、どう考えたっておかしい。
実際、自分よりも上の立場の人(あくまで会社のヒエラルキーの話ね)に、明らかに不機嫌な態度で「何わけわかんないこといってるの?」と言われて、「いや、分かっていないのはあなたです。なぜなら、、、」なんて正面からやり合える人がどれだけいるのだろうか?
仮にそんなことをしたら、確実に社内で干されるは目に見えている。その後職場にいづらくなって、精神的に病んでしまう可能性も高いだろう。
そういった僕らの立場は全く考慮されずに振りかざされる「正論」。
何よりも僕が?と思うのが、僕らがやるべきだと考えられている「正しい仕事」に対する対価が「今まで通り、通常のお給料が支払われること」であるという点だ。
これっていくらなんでもおかしい。
今回のケースで言うとあなたに訪れる未来は2つ(正確には3つ)。
1.その場で引く。あとで「なんであのとき引いたんだ?」と怒られる→失敗。やるべき仕事をやらなかったと上司の評価を下げる。そして「仕事のできないやつ」というレッテルは貼られるかもしれないが、そこまで職場の人間関係は悪くならない。
2.引かずに食い下がる。「仕事のことなにもわかってねー事務員のクセに生意気な!」とものすごい剣幕でどやされ、人間関係に亀裂が生まれ、働きづらくなる。仮に部長が書類をあなたの言った通り直して、無事に経費精算ができたとしても、そのことに対する感謝や謝罪はない。なぜならあなたは「やって当たり前」の仕事をこなしただけだから。もちろん査定にも影響無し。ただ、「面倒なやつ」というレッテルを貼られる。最悪なのは、引かずに食い下がったのはいいけど、書類も直してもらえなかった場合。面倒な事後処理も発生し、怒鳴られ損で踏んだり蹴ったり。そして、そういったケースが一番多かったりする。
そして、どっちのケースでも、あなたの得られるものは「今まで通りのお給料」だ。
つまり、自分の仕事をこなしたことに対する会社からの対価はないってのが正解なんだよね。
なんじゃそれ?
それじゃあやる気なんてなくなるよね。
そして悲しいかな。僕が今までいたどの職場でも(程度の差はあれ)上記のようなことは何度もあった。もちろん今の会社でもある。
何故こういった理不尽なことがまかり通っているのか、ずっと不思議だったんだけど、最近経済の勉強をするようになって、何となく腑に落ちるようになった。
要は「代わりはたくさんいる」からなのだ。
このブログでも書いてきたように、一般事務の仕事は、ただ作業としてこなそうと思えば、こなせる仕事が多い。自分の付加価値を高めることも確かに可能ではあるが、それはあくまで「潜在的な」もので、雇用側、つまり企業から見れば、そこで働く人が「自分の価値を高めよう」と考えていようが「楽をしたいから」と考えていようが、どっちでもいいのである。
決められたことを決められた通り、ミスなくそつなくこなせるだけの能力があればそれでいい。あと毎日ちゃんと定時通りに会社に来るだけの常識があればOK。稼ぐ部隊じゃないから、期待値も少ないのである。期待値が少なければ、当然採用に対する選考基準も低くていい。今の人がダメなら、また募集を掛けて、応募してきた人の中から適当に選べばいいだけである。このご時世、仕事に困っている若者はたくさんいるんだから。
でもね、切られる方はたまったものじゃありません。精神的にも辛くなるし、本当に精神を病んでしまう人だっているでしょう。
本来とても楽しいはずの「働くこと」が楽しくなくなってしまいます。
そして、真面目な人は自分の人間性を否定するようになるかもしれません。
まあ、そんな風に思う必要が全くないことは、今ここで説明した通りです。あなたは何にも悪くない。悪いのは、世の中の仕組みです。
だから、こんな理不尽なことでよれよれになるまで働かされて、使い捨てられる人を一人でも減らす為にこそ、僕らのようなルーティン中心の仕事は、早いところなくなった方が世の中の為なんだな、と思うわけでした。