文章を書くとは、自分の感情に言葉を与えることだということ
久々のブログでございます。
今回は書評。
文章力に関する本はゴマンとあるが、この本がとても良かったのでブログにしたためます。
文章を書くということは、話し言葉を書き言葉に翻訳することだ、と筆者はいう。
多分この本で得られる最大の学びはこの点だとぼくは思った。
会話するときは、言葉以外の情報で相手のの言いたいことや感情を理解することができる。
例えば
「馬鹿じゃないの?」
という発言。
文章でポンと書かれると、とても傷つく。なんだか自分の人格を否定された気になるし、この言葉を自分に対して書いた人のことを確実に嫌いになる。ぼくならね。
でも、お互いにお酒を飲みながら楽しく会話をするなかで、自分が放った気の利いたジョークに対して、相手から笑いながら放たれる「馬鹿じゃないの?」と言う言葉に傷つく人がどれほどいるだろうか?
この違いは、フェイストゥーフェイスで言葉をやり取りする場合、言葉以外の情報も同時に取り入れられている、ということに起因する。
その「馬鹿じゃないの?」という発言が心からのものなのか、それとも単に冗談として発せられたものなのかを、それまでの会話の流れ、表情や仕草、声のトーンなどといった言葉以外の情報から判断しているのだ。
ああ、この発言はただの冗談で、こいつは本気で自分のことを馬鹿だと思っているわけじゃないんだな、と。
でも、これが文章で書かれると話が違ってくる。
文章には、言葉以外の情報がないからだ。
だから、気をつけないと意図しない風に相手に受け止められることがある。
どういう経緯で「馬鹿じゃないの?」と書いたのかもきちんと言葉にしないとだめなのである。この「どういう経緯で」という部分がミソで、改めて言葉にしようと思うと、なかなか難しい。なぜなら普段の会話ではそんなことは特に意識していないし、意識しなくとも伝わるからである。
文章で気持ちを伝えるには、普段の会話では言葉以外の情報で伝えることができる情報を、言葉で伝える必要がある。文章を書くとは、普段は言葉以外で伝えている情報に適切な言葉を与えることで、自分の気持を読み手にきちんと伝えることにほかならないのである。
多くの人が文章を書くことを苦手だと思う理由がまさにこれ。
だって、そんなこと今まで意識してやったことがないからだ。
まあだからこそ自分の気持ちをきちんと文章に落とし込めるスキルは非常に重要だし、とても強いスキルになるんだけどね。そしてそれは、訓練をつめば誰にだって可能なタイプのスキルなのだ。ぼくもまたブログをきちんと書こうと思う。
言葉が与えられていない自分の感情に、きちんと言葉を与えすっきりしたいから。
あとやっぱり「文章うまいっすね」っていわれたいじゃないですか?
おしまい。