【嬉し恥ずかし】部屋を掃除したら、昔の日記が出てきたので読み返してみた
連休初日、新しい洗濯機が来るということで、家の掃除をしたのだが、その際に昔つけていた日記を発見した。
100円で買える大学ノートにつけていた日記。
ブログに移行する前は、手書きでちょいちょい日記を書いていた。
書き始めたのは高校生位からで、大学に入ってからはほとんどつけなくなった。
、、、つもりだったのだが、出てきた日記は大学時代のもの。そういや大学に入ってからの半年くらいと卒業前の半年くらいは、日記を書いていた気がする。
もう10年くらい前の出来事になるんだよな。いやはや月日が経つのははやいものだ。で、内容読み返してみると、全然成長していない自分に少し愕然とする。
結構就活に苦労してたみたいで、4年の夏がすぎてもまだ内定貰えてなかったみたい。相当へこんでいて、人生オワタみたいなことがチラホラ書かれている。前途ある若者の言葉とは思えん。新卒カードを使って、良い企業に行くことがすべてみたいなこと考えてるよこいつ。いやあ、情弱って怖い。どんだけ保守的なんだよ。
でもまあ、地方の大学生ってこんなもんだよな。やっぱね、大学行くんなら地方よりも絶対都心の方がいい。若いうちから最先端なものに触れて、時代のうねりを肌で感じるべきだよね。地方でのんびりするのも大切だよって言う人もいるけど、例えばイケダハヤト氏みたいなフリーランスじゃ無い限り、地方に閉じこもってても、あんまり良いことは無いと思う。嫌でも世界は繋がっていくんだから。
地方しか知らなくて、友達もいるし、住み慣れているからと、何となくの流れでずっと地方に居続けるのは、本人にとっても日本にとってもとってももったいないことだ。若いうちこそ、広く世界をみるべきだし、少なくともいろんな選択肢が自分にはあるんだってのを知っておくべきだと思う。
その上で、やっぱり自分は地方に残るっていうんなら、それはそれでいいことだと思う(この辺はまた別の機会にブログで論じたい)。
で、日記の話に戻すと、どうも僕は、大学生の時から「自分のアタマで考えられない自分に対する危機感」だけは持っていたようだ。「考えるクセをつけねば」みたいなことがちょいちょい書かれてる(主に就活中)。
自分のアタマで考える必要性を感じたのは、ちきりんさんのブログや本を読むようになってからだと思ってただけに、これは意外な発見だ。どうやら僕はただのちきりんかぶれじゃなかったようだ。よかった。
きっと「君の話はオリジナリティがない」とでもどっかの面接官に言われたんでしょうね。だとしたらそのことに早いうちに気付かせてくれてありがとよ、その人。
抱腹絶倒なのは「自分は格差社会の負け組だ」って記述。そう言えば、「格差」って言葉が流行っていましたね。
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「所得少ない→生活苦しい→必死で働く→しかし給料安い。その上仕事内容は単純作業・流れ作業なのでスキルアップは望めず→しかも労働時間も長いため、資格の勉強などスキルアップの為の勉強もできない→時がたち、同世代の人たちとの収入差歴然、、、まさに今、自分も学生ながらそれをリアルに感じている。」とか真面目に書いてるんですよ。お前はくたびれたおっさんか!!!と当時の自分にツッコミを入れたくなった。
そういえば当時の友人知人て斜に構えてシニカルな人が多かったな。変に小利口というか、20そこそこで人生全部分かった気になってた気がする。頑張ったってどーせ無駄だし、まったり行こうぜ、みたいな雰囲気が当時の僕らにはあった。公務員志向の人ばっかで、就活する人って全然いなかった。気の合う友人が多かったし、無茶苦茶楽しい学生生活だったけど、ちょっともったいなかったな。
今思うのは、若者は世間知らずで少々おバカな方がいい。んで、「俺たちが世の中をかえていくんだ!」なんて暑苦しい理想に燃える必要は全然無いけど、リクルートや大人達がしいた就職活動に縛られる必要も全然無い。人生はもっと自由で楽しいものなんだ!って思って欲しい。思うべきだし、思われるべき社会であるべきだ。
んで、本来はそういったことを教えてやるのが大学の先生の大切な仕事だと思うけど、彼らに期待するのは難しいよなあ。特に文系の人たち。だから大学は地方より都会の方が良いね。少子化で子供が少ないからって理由じゃなくって、地方の大学は根本的に変わる必要があるなあと今思った。この辺はまた別の機会にブログにしたためます。
昔の日記読んだネタを面白おかしく書くだけのつもりが、次のブログ記事のネタまでみつかってラッキー、な一日でした。さて、酒飲んで寝るか。